久々に自分のはてなブログの記事を見てみたら、「この広告は90日以上更新されていないブログに表示されています」という文言と共に広告が張り付けられていた。
ちっ
ということで何とか広告を消し去るべく数か月ぶりに記事を書くことにした。
ついさっき朝井リョウの『正欲』を読み終わったところなんでちょうど良いわい。
めちゃ簡単に言うと、とある特殊性癖をもつ登場人物たちが、社会の正義の中で溺れそうになりながらも辛うじて生きている様子を描いた作品。
2023年に映画化もされている。
ネタバレも込みで感想を書いていきたいと思う。
「正しい命の循環」=輪廻?
「正しい命の循環の中にいる人たち」という表現が物語中で何度も出てきた。
みなさん、学生時代の同級生で、野球部のキャプテンをしていた人を頭に思い浮かべてみてほしい。その人が、まさに「正しい命の循環の中にいる人たち」の代表例だ。
というのはちょっと偏見だけど、作中では「自分たちが正常だと信じて疑わない異性愛者」というような意味合いで使われている。
思春期に入ったときには私も”大多数”と同じように性欲を感じるようになったが、クラスメイトたちがしきりに「誰が好きか」とか「誰と誰が付き合ってるか」という話をしているのを聞いていて、なぜそこまでの熱を注げるのだろうかとも感じていた。
なお、モテない自分を守るためにそのような思考をしていた可能性も微レ存。
まぁともかく、世の中の最小単位はオスとメスのつがいである。
星野源も『恋』の中で「この世にいる誰も 二人から」と歌っているように。
「正しい命の循環」とはまぁそんなような生物としての基本ルールでもある。
桐生夏月が、イオンモールで幸せそうにショッピングを楽しむ家族たちを眺めながら「正しい命の循環の中にいる人たち」を意識する場面がある。ベビーカーに乗っている赤ちゃんもいずれは大人になり、異性に性欲をもち、結婚し、子供をベビーカーに乗せてまたこのイオンモールに戻ってくるのだと空想する。
この場面を読んでいて、私はふと正しい命の循環とは仏教における輪廻とも捉えられると思った。
仏教についてはセブンの弁当くらい浅い知識しか知らないが、輪廻とは死んだらまた生まれるを繰り返すことで、そのゲームから抜け出す、すなわち解脱することで涅槃に達することができるというようなことだったはず。
ではどうやって解脱、つまり悟りを開くのか。それは、あらゆる欲望と別れを告げることで達成される、みたいなみたいな。
桐生夏月、諸橋大也、佐々木佳道のように水にしか興奮しない人たちは、自動的に”正規”の輪廻ルートをはずれ、その循環を俯瞰で見ることしかできなくなる。
去年の芥川賞をとった市川沙央の『ハンチバック』の中でも、主人公の釈華は障害によって世間から隔絶されており、自らを「涅槃に生きている」と書いている。
確かにあらゆる欲を捨てているわけではないのだが、彼らはほぼ悟っているように思える。