『蛇にピアス』『浮遊』『改良』のハシゴ読み
ここ何か月か本と無縁の生活を送っていたのだが、このまえ急に本が読みたくなったので三冊イッキ読みした。
思えば読書の秋だからか。まったく意識していなかった。
去年、遠野遥氏の『破局』を読んでからというもの、衝撃がずっと頭に残っていたので、とりあえず遠野氏の他作品を読もうと決めていた。
ネタバレ注意です。
『改良』遠野遥
文藝賞を受賞した著者のデビュー作らしい。
男子大学生が主人公で、彼の女装趣味を台風の目として渦を巻く物語。
『破局』みたく終盤に何の前触れもなく畳みかけてくる感じで、誰かが言ってたけどまさにジェットコースターに乗っているような心地がした。
最後の急降下の直前に、主人公が初めて「満たされる」描写があるため、富士急くらい落差がある。
美しさに呪われた主人公は、女装が趣味だがトランスジェンダーではない。
「性」よりも根本的な「美」と葛藤する主人公は、ある意味芸術家と同じで、美しさに生きる意味を見出しているんだと思う。
「美しさ」は、水みたいに生命を存続させるうえで不可欠なものではないけれど、もしかしたらそれは動物限定の発想であって、美醜という尺度をもってしまった人間にとっては必須のアイテムなのかもしれないと思った。
『浮遊』
私は幼い頃、周りの目を盗んでスーパーに陳列されている糸こんにゃくを包装の上から指で潰すという遊びにハマっていたことがあった。(よい子はまねしちゃだめ!)
しかしこの遊びは想像通り難易度が高く、本体を掴めそうでなかなか掴めない。
この小説はまさにそんな感じだった。
高校1年の女子高生”ふうか”と30代後半くらいの会社経営者の男が同棲しているのだが、ふうかが夜な夜なホラーゲームをプレイしている。
父から定期的に心配のLINEがくるが、その内容からも二人の同棲を一応は了解している感じではある。
二人は同棲しているのだが、性的な関係については何の描写もないのでそこも曖昧。
というかすべてが曖昧である。
設定が特異なので、読者としては「まあこういう理由でこうなのかな?」とか想像したりすると思うんだけど、そのどれもが有耶無耶にされる感じがあり、それが作品全体を覆いつくす乾いた不安を煽っている。
ホラーゲームの内容と現実とで繋がりがありそうなポイントもふと出てくることがあるが、それもまたビミョーにすれ違うというか、すれ違ってるかどうかも分からないというか。
『改良』も『破局』も終盤にかなり疾走感のあるシーンが置かれているが、この作品はシリーズものかと一度疑うくらいにはプツンと切れたように終着したのが逆に印象的だった。
あと、ホラー耐性ゼロの私にとっては普通に怖かった。追いかけられるの怖い。
実は『破局』にも、主人公の彼女の回想の中で、自転車で追いかけられるシーンがある。
あとから著者のインタビューを見て驚いたのだが、『破局』を書くにあたって最初に浮かんできたシーンがその場面で、そこに後から思いついたシーンと繋げたりして物語を構成したらしいのだ。
まさか主人公でもない役の回想シーンが原点になっていたとは。
『蛇にピアス』金原ひとみ
『蛇にピアス』と言われると私は映画版のほうが先に思い浮かんでくるのだが、それは主に茶髪の吉高由里子と赤髪の高良健吾のことで、物語自体は知らないし観たことなかった。
できれば何か小説を読むときは実写のヴィジュアルを知らない状態で楽しみたい派ではあるのだが、たまには知ってても良いかなと思ったりして読み始めた。
身体改造という点でいえば『改良』といくつかの共通点を見出すことができる。
だが、こちらは美に執着しているのではなく痛みに依存している。
そもそも主人公がスプリットタンにしようとする目的というのが、主人公自身もぼんやりとしか掴めていない。アマにもらった歯みたいな愛の印としての行為なのかもしれないし、生きている実感を得るためかもしれないし、その両方かもしれない。
作中にも触れられている場面があるが、身体改造というと「神」や宗教観とは切っても切れない関係にある。
現代社会で、人間は様々なものを所有しているようにも見え、独占欲にもまみれているが、実際のところひとりの人間が所有しているのは自分ひとりの身体だけだ。
その唯一にして絶対的な所有物を造り替えるとき、はじめて運命から解放されたような気分になるのかもしれない。