やはりひとりのサッカーファンとしてこの話題に触れないわけにはいかない。
彼なしに今の日本サッカー界はない。そう断言できる。
私自身がリアルタイムで見れたのは主に横浜・F・マリノスでの中村俊輔だけだったが、もちろんレッジーナやセルティック、そして何より日本代表での活躍は、まるで当時本当に見ていたかの如く鮮明な映像として私の心に刻み込まれている。
テレビやYouTubeで子供のときから何度も何度も彼のプレー集などを見て憧れていた。
サッカー少年だった人たちはきっと共感してくれるはずだ。
海外のクラブや日本代表での活躍をリアルタイムで観れていた人たちが羨ましくもある。
身体が大きいわけでもなく、サッカー選手としてどちらかと言えば華奢な方だ。
足が速いわけでもない。先陣を切ってチームメイトに声をかけるようなリーダータイプでもない。
日本でファンタジスタと形容されることがある選手は彼くらいだ。
長短織り交ぜられた正確なパスは完全にピッチ上を支配し、彼が中心となってゲームは進んでいく。ドリブルの繊細なタッチや切り返しも印象深い。
歴代でも最高の司令塔である。
当時の日本代表の選手たちはよくこんなことを言っていた。
中田英寿は矢のような鋭いパスで、「俺が出したところに走れ」というメッセージを感じる。世界最高峰のセリエAで戦っていた彼が、日本のレベルを底上げするためにとっていた姿勢だ。
それと対照的に中村俊輔のパスというのはまさに美しい放物線を描くやさしいパス。
受け手が欲しいと思った場所に絶妙なタイミングで収まってくるのだ。その中村俊輔のイメージは、あまりサッカーに詳しくない人でも多少は分かるのではないだろうか。
この二人のバランスが当時の日本代表を牽引していた。
そして中村俊輔という選手を語るうえで絶対に欠かせないのが「フリーキック」である。
”黄金の左足”と称される芸術的な直接フリーキックは、スピード、コース、タイミング、すべてが完璧だった。
日本で史上最高のキッカーであることはもちろん、誇張なしに世界で5本の指には入ると思う。
単純にゴール数だけで言えば世界のトップと差があるが、世界で誰も真似できないようなクオリティーのキックを幾度となく成功させてきた。
マンチェスターユナイテッド戦での2戦連続ゴールはまさに伝説だ。
静岡の名門、桐光学園で注目されてから28年間ずっとサッカーファンを魅了し続けてきたファンタジスタは今年で44歳を迎え、輝かしいキャリアに幕を閉じた。
中村俊輔、ありがとう!本当にお疲れ様でした!