謙虚な天狗が送る毎日

初めまして。謙虚な天狗の皐月(さつき)です。好きなものが同じ、じゃなくて案外嫌いなものが同じ人同士のほうが気が合うことが多かったりするらしいですよ。 ってことで私が苦手なものは、シイタケとイモムシです。 どうぞよろしくお願い致します。

達成したあとのお尻、前から拭くか?後ろから拭くか?

この記事をシェアする

 

 

こんにちは、謙虚な天狗の皐月です。食事中の方は閲覧を控えることを強くお勧めします。

 

f:id:chaplin0549:20220302203740j:plain

 

世の中には2種類の人間がいる。用を足した後、紙でお尻を拭くときに前から拭く人と後ろから拭く人だ。

 

この言葉を聞いて、え?前から拭く人なんているの!?と思ったそこのあなた。

あなただって向こうの人から、後ろから拭く人なんているの!?と思われてるんですよ。自覚してください。

 

 

 

 

急速な通信手段の発達によって私たちは日々情報の洪水に流され続け、いつの間にやら我を忘れています。

ここ数年に至っては他人との会話の間にさえ、人と人とを分断する「ひときれの」布をはさまなければならないという始末。

 

他人との対話は自由気ままにできないのです。

そんな現代社会、薄暗くて深い大海原で荒波に揉まれながらも力強く泳ぎ続けていくためには「自分との対話」が必要不可欠だと思います。

 

ただし、実際問題ひとりの時間を作るというものは意外と難しいです。例え一人暮らしでもスマホを覗き込めば、向こう側には無数の人がいるからです。

 

人間という生き物はひとりでは生きることができない。残念ながらそんなことは言うまでもありません。

しかし人生を行動の要素によって分けたとき、必ずひとりで生きている時間というものがあります。

 

 

それは、小さなバナナ(日によってはチョコボール、或いはドライカレーかもしれない)を地球に還元するときです。

 

四方を壁に囲まれた自分だけの空間。その場所が例え日本の僻地の小さな一軒家にあったとしても、新宿のビルの30階だとしても、そこで私たちは半径1mの小宇宙を存分に揺蕩うことができるのです。

 

個室での戦い。自分との数分間の対話。

 

数日前、フィギュアスケート羽生結弦選手が記者会見でこのような台詞を口にしていた。

 

「みんな生活の中でなにかしら挑戦しているんだと思います。それが生きることだと思いますし、守ることだって挑戦なんです。」

 

私はこの言葉にたいへん感銘を受けました。(これは事実です)

そしてこの記事を書いていて思いました。毎日のルーティンに欠かせないトイレだって、ささやかながら立派な一つの挑戦なんだと。自己との対話ですから。半分冗談半分本気です。いや、半分本気っていうのはヤバいか。

 

 

 

 

 

 

用の足し方に大した差はないはずです。ただし和式か洋式かの差というのは確かにありますね。

ちなみに最近の若者は和式で用が足せないという噂があるようですが、私も例に漏れず和式が開いていても洋式が開くのを待ちます。漏れそうなら話は別ですが。

 

問題はお尻をどのように綺麗にするかということです。ウォシュレットを使うか否か、トイレットペーパーはシングルかダブルか、そんなことはどうでもいいのです。

 

重要なのは、世間に問いたいのは、達成したあとのお尻、前から拭くか?後ろから拭くか?ということです。

 

告白しよう。私は前方から失礼したことなど生まれてこのかた一度もありません。生粋の後ろ派として胸を張って生きてきました。不自由な点は何一つありません。

第一、だいたいの哺乳類においてお尻は後方に付属するもの?だから後ろから拭くのは自然のように感じます。

 

それに加えて、前方から拭くとなると2つほど気になる点があります。

まずひとつは、体勢が苦しくないのかという懸念です。それ以上も以下もありません。

もうひとつは、前から拭くとなるとそこには何かひとつ障壁が存在しているような気がしてならないのです。何かはわかりません。なぜなら一度も前から拭いたという経験がありませんから……。

 

 

 

前から拭く人と後ろから拭く人が、それぞれどれくらいの割合を占めているかというのは記事を書く上でノイズになってしまいそうだったので敢えて調べないでおきました。

 

 

 

この記事で何を書きたかったのか、何を伝えたかったのか。それは私もわかりません。

 

 

\ Follow me!! /