謙虚な天狗が送る毎日

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授業中に「下敷き」でパタパタ扇ぐのは犯罪か。

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授業中に「下敷き」でパタパタ扇ぐのは犯罪か。

今日は一限から大教室で授業があった。駅から大学までは近いのに門に入ってからが長い。汗がじんわりと滲み出てくる。

教室にたどり着いたら冷房がガンガン効いててオアシスだ!と思いきやそうでもない。効いてはいるが期待していたほどではない。

黒板の前では教授が教壇にへたり込みながら団扇を半分無意識かのような顔でパタパタしている。

 

講義はいつも通り時間ぴったりに始まったが、ここで私は少し違和感を覚えた。あたりを見渡すと、3人に1人くらいの割合で学生たちがパタパタしているのだ。

私の脳内では、授業中などに下敷きとかクリアファイルで扇ぐのは失礼な行為だということに一応はなっていた。小中学生の頃にそれで注意されていた友達を何人も見ていたからだ。

といっても本気でそれが無礼な行為だと思ったことは別にない。なんなら授業に最大限集中するための環境づくりに勤しんでいるという、もはや称賛に値する行為なのではないかとさえ思う。

思えば「あくび」も似たような立ち位置にいる。授業中にあくびをするのは確かに「眠い」「やる気がない」という意思表示ともとれるが、過去に出会ったある先生のケースでは、「あくびは空気を身体にたくさん取り込んで頑張って眠らないようにする生理現象であるため、別に咎めたりなんかしないぜっ!」というのもあった。

 

結局どうすればいいのか。こんな時に便利なのが、「自分がやられる側だったとしたらどう思うか」というのを考える方法。

私は、自分が一生懸命に作ったレジュメを使って生徒一人ひとりを見ながら熱い講義をしている最中に下敷きで扇いでるやつ、あくびをしているやつがいたら、、、

別に良いと思う。突き放すようなニュアンスじゃなくて率直に。そこまで他人に迷惑をかけているわけでもないし。

 

私は常々思っていたことがある。この「自分がやられる側だったとしたらどう思うか」を考えるという ”自分がされて嫌なことはしない理論” は普通に考えて破綻していると思うのであまり乱用すべきではないのかもしれない。

 

ところで、前の席の人が扇いでいると、たまにそのおこぼれ風を享受できることがある。自分は何もしなくてもいいので実質扇風機と一緒だ。ありがたい。 ただ、これもひとつ問題がある。

前に座ってるのが浜辺美波だったら大歓迎どころか一種のお祭りになり得るのだけど、汗だくの柔道部だったら嫌だ。本人に悟られないようにすーっと席を移動するくらいには耐えられないかもしれない。

 

結局授業中にパタパタ扇ぐのは罪なのか。

そのときの教授は普段から帽子、ガムを嚙む、私語などを見つけるや否や即座に注意するタイプなので、実のところ私はうちわについてもすぐに注意されるだろうと思っていた。

が、結局気にする素振りさえなかった。授業前に教授自身も団扇を使っていたから、肯定派なのか。

 

ここまで下敷きとかクリアファイルで扇ぐ例について取り上げてきた。(大学で下敷きを使ってる人はいないけれど、比喩的に)

 

しかし、実は学生の中には「扇子」を使っている者も一定数いた。

 

そうだ。

下敷きとかクリアファイルで扇ぐから少し引っかかるんだ。優雅じゃないんだ。

扇子なら何も問題はない。和の心。夏の風物詩。風流。たしかに扇子を片手に学ぶ日本人ってはたから見れば結構イケてるかもしれない。しかもいま流行りのSDGsにも対応しているし。

一応調べたけど扇子やうちわで暑さをしのぐ文化が根付いているのは日本くらいっぽい。

 

 

ということで、授業中に「下敷き」でパタパタ扇ぐのは犯罪。

扇子やうちわなら無罪、どころか奨励すべし。

 

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