マスク生活で得たもの?
今朝はマスクを二つ折りにしてリュックの横のアミアミに入れて家を出た。アミアミ。
なぜそんなことをするかというと、最近は暑すぎて最寄り駅と家の間に限ってはマスクをしていないからだ。自転車だし、そんなに人も密集してないし。
地下駐輪場に入る前に一応マスクをつけることにしている。マスクをアミアミに入れておくことでその際にスマートに取り出し、装着できるのだ。
屋外ではほんとにそろそろ外していい、というか外さなきゃレベルだとも思う。
もうマスクをつけ始めてからだいぶ長い。というフレーズさえしばしば見かけるぐらいには定型文になった。マスク生活で失ったものは大きすぎるし、多すぎる。
逆に得たものはあるだろうか。失ったものの大切さに気づけたこと。それはもちろんあるけど。
中学生の時に、普段は授業中しかメガネをかけていない生徒会長が、なぜか全校集会でスピーチをするときにも必ずと言っていいほどメガネをかけていた。 別に台本は彼の手元にあるだろうし、そもそも彼は内容を暗記してたのでメガネなんて必要ないはずだ、と当時の私は思った。むしろメガネをかけると眼下の全校生徒が鮮明に見えてしまって変に緊張するのでは?という疑問もあった。
気になったので本人になぜメガネをかけるのかと聞いてみると驚きの答えが返ってきた。
「あ~、なんかねぇ、仮面効果って知ってる?眼鏡とかマスクをつけると緊張感が軽減されるらしいんだよねー。だから付けてる。」
たしかに。思えばそんな感じもする。そして彼の言っていた通りこの効果はマスクにも応用できるのだ。
他人に自分の感情や思惑を悟られにくいことからくるちょっとした無敵感のようなものだと思う。確かにこれは日常生活で怖い人と会話するときなんかにはポジティブに働くこともあるから、マスク生活で獲得したもののひとつかもしれない。
と、意地でもマスク生活で得たものをひねり出してみた。
授業中に「下敷き」でパタパタ扇ぐのは犯罪か。
今日は一限から大教室で授業があった。駅から大学までは近いのに門に入ってからが通すぎるから汗がじんわりと滲み出てくる。
教室にたどり着いたら冷房がガンガン効いててオアシスだ!と思いきやそうでもない。効いてはいるが期待していたほどではない。
黒板の前では教授が教壇にへたり込みながら団扇を半分無意識かのような顔でパタパタしている。
講義はいつも通り時間ぴったりに始まったが、ここで私は少し違和感を覚えた。あたりを見渡すと、3人に1人くらいの割合で学生たちがパタパタしているのだ。
私の脳内では、授業中などに下敷きとかクリアファイルで扇ぐのは失礼な行為だということに一応はなっていた。小中学生の頃にそれで注意されていた友達を何人も見ていたからだ。
といっても本気でそれが無礼な行為だと思ったことは別にない。なんなら授業に最大限集中するための環境づくりに勤しんでいるという、もはや称賛に値する行為なのではないかとさえ思う。
思えば「あくび」も似たような立ち位置にいる。授業中にあくびをするのは確かに「眠い」「やる気がない」という意思表示ともとれるが、過去に出会ったある先生のケースでは、「あくびは空気を身体にたくさん取り込んで頑張って眠らないようにする生理現象」であるため、別に咎めたりなんかしないぜっ!というのもあった。
結局どうすればいいのか。こんな時に便利なのが、「自分がやられる側だったとしたらどう思うか」というのを考える方法。
私は、自分が一生懸命に作ったレジュメを使って生徒一人ひとりを見ながら熱い講義をしている最中に下敷きで扇いでるやつ、あくびをしているやつがいたら、、、
別に良いと思う。突き放すようなニュアンスじゃなくて率直に。そこまで他人に迷惑をかけているわけでもないし。
私は常々思っていたことがある。この「自分がやられる側だったとしたらどう思うか」を考えるという ”自分がされて嫌なことはしない理論” は普通に考えて破綻していると思うのであまり乱用すべきではないのかもしれない。
ところで、前の席の人が扇いでいると、たまにそのおこぼれ風を享受できることがある。自分は何もしなくてもいいので実質扇風機と一緒だ。ありがたい。 ただ、これもひとつ問題がある。
前に座ってるのが浜辺美波だったら大歓迎どころか一種のお祭りになり得るのだけど、汗だくの柔道部だったら嫌だ。本人に悟られないようにすーっと席を移動するくらいには耐えられないかもしれない。何かの「匂い」というのはしばしば思い出のトリガーになるくらい感情への連絡性が強いと言うし。
結局授業中にパタパタ扇ぐのは罪なのか。そのときの教授は普段から帽子、ガムを嚙む、私語などを見つけるや否や即座に注意するタイプなので、実のところ私はうちわについてもすぐに注意されるだろうと思っていた。が、結局気にする素振りさえなかった。授業前に教授自身も団扇を使っていたから、肯定派なのか。
ここまで下敷きとかクリアファイルで扇ぐ例について取り上げてきた。(大学で下敷きを使ってる人はいないけれど、比喩的に)
しかし、実は学生の中には「扇子」を使っている者も一定数いた。
そうだ。
そうだ、下敷きとかクリアファイルで扇ぐから少し引っかかるんだ。優雅じゃないんだ。扇子なら何も問題はない。和の心。夏の風物詩。風流。たしかに扇子を片手に学ぶ日本人ってはたから見れば結構イケてるかもしれない。しかもいま流行りのSDGsにも対応しているし。
一応調べたけど扇子やうちわで暑さをしのぐ文化が根付いているのは日本くらいっぽい。
ということで、授業中に「下敷き」でパタパタ扇ぐのは犯罪。
扇子やうちわなら無罪、どころか奨励すべし。