謙虚な天狗が送る毎日

初めまして。謙虚な天狗の皐月(さつき)です。好きなものが同じ、じゃなくて案外嫌いなものが同じ人同士のほうが気が合うことが多かったりするらしいですよ。 ってことで私が苦手なものは、シイタケとイモムシです。 どうぞよろしくお願い致します。

彼女の声を聞いたのは

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彼女の声を聞いた人は誰もいなかった。より正確に言えば、彼女の声を覚えていた人は誰もいなかった。

 

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私が彼女(Aさん)に初めて会ったのは3歳のときで、近所の幼稚園の同級生だった。といってもその当時の記憶などほとんどなくなってしまっているので第一印象とかは覚えていない。

ただし幼稚園で日を重ねていくごとに、Aさんが周りの友達と比べて違うところがあることに気づいていった。彼女はまったく喋らなかった。幼稚園児というのは基本的に元気いっぱいでうるさくて好奇心旺盛だけれど、人見知りでおとなしい子だっている。でもそんな静かな子供だってこっちから話しかければ、ぼそぼそした声でも返事するだろうし、どうしても話さなきゃいけないときは緊張しながらも話すだろう。

 

でもAさんは一言も言葉を発さなかった。基本的にコミュニケーションは首を縦に振るか横に振るか。誇張なしで本当にこれだけだった。記憶は朧気だが、このころから感情もあまり表に出していなかったと思う。当然幼稚園では「喋らない子」として園児やその保護者たちから奇異な目で見られた。私もそのような目で見ていた。

 

小学生になってもAさんが口を開くことはなかった。というよりむしろ以前より表情が

 

乏しくなったように感じた。それもある意味で自然な流れだったと思う。私とAさんが通っていた地元の公立小学校には、あたりまえだが幼稚園の何倍もの生徒が入学してくるわけで、単純に人数が増えれば緊張感は増すだろうし、意地悪なやつも増える。先生からのフォローのようなものも勿論あったけれど、小学生低学年のこどもに陰口を言うなと言っても限界はあった。

 

不幸中の幸いと言うべきかはわからないが、Aさんに対する直接的ないじめはなかった。これは、Aさんが仮に直接いじわるされたとしてもノーリアクションでおもしろくないというのも関係していたかもしれないが、それ以上にクラスメイトの多くが彼女のことを理解して何かを手伝ったり、ひとりにならないように気を遣っていたというのがあったと思う。

 

ただ、みんなのAさんに対する最低限の疑問は消えなかった。

なぜ喋らないのか、なぜ喋れないのか。

 

小学校では結構な頻度でクラスのみんなの前での発表をする機会がある。そのときにもAさんはもちろん発表できないから、黒板の前に原稿を持って立つだけ立って、隣で先生が文章を読み上げるといった形式をとっていた。この時間に流れるなんとも言えない気まずさと緊張感は今でも鮮明に覚えている。

 

3年生くらいのとき、日本ではおそらく自閉症などの発達障害が少しづつ認知され始めてきていた時期だったのか、学校に通級指導学級というものができた。これは特別支援学級とは異なり、主に自閉症学習障害などの発達障害をもつ生徒が対象の学級だ。Aさんもこの学級に入り、普段は通常のクラスで授業を受けながらも週に3時間ほどは通級指導学級で個別の指導を受けていた。

 

ある日Aさんがその通級指導学級に行っている間、つまりAさんが不在の間に、クラスではいつもとは違う特別な授業が開かれた。それはAさんのもつ障害についての話だった。

先生は「いつもみんなAさんのことを気遣ってくれてありがとね~」といった感じで話を切り出し、Aさんの置かれている状況などについて話してくれた。そこで私は初めてAさんが「ばめんかんもく」という障害を持っていることを知った。

 

みなさんは場面緘黙症をご存じだろうか。500人に1人程度の割合で発症するといわれているので、もしかしたら周りに患っていた人がいたという人もいるかもしれない。

多くは幼児期に発症し、克服するまでに短くて2か月~3か月の場合もあれば、数年かかることもあるという。

この病気の特徴としては、病名の通りある一定の「場面」において話すことができなくなってしまうということだ。極度の緊張やストレスがきっかけで発症することが多いらしい。話せなること以外にも、感情表現ができなくなったりする。

一方で家などのリラックスした環境では何事もなく会話できるケースが多く、Aさんもこのタイプだった。

 

先生がこのような時間を作ってAさんについて話してくれたおかげでクラスメイトも彼女への理解がさらに深まったのではないかと思う。

 

しかし、結局小学校を卒業するまで私たちは彼女の声を聞くことはなかった。数年間硬く閉じ続けてきた扉を開くためには想像以上に高い壁が存在していたのだろうと思う。数年間と言っても当時の私たちにとっては人生の大部分を占めていた。Aさんは受験したのか特別支援学校に行ったのかわからないけれど、生徒のほとんどが入学した地元の公立中学校にはいなかったのでその後会うことはなかった。

 

 

 

 

小学校卒業まであと何か月かくらいの時期だったと思うが、学校で友達4人くらいと話していたときに何かがきっかけで、ふとAさんの話題になった。

「結局Aは最後まで喋んなかったな」

「中学入ったら喋るんじゃない?」

 

そんなような会話をしていたとき、友達のうちの一人のBという奴が、突然やけに低いトーンでゆっくりと口を開いた。

 

「あのさぁ、俺今まで誰にも言ってこなかったんだけど……

 Aが喋らなくなったのって俺のせいかもしれないんだよね……」

 

何を言ってるんだろう、と私は思った。友達も不思議そうな顔をしていた。

目立ちたがり屋にありがちな、自慢話をわざともったいつけて語るような雰囲気ではないのは確かだった。

Bは少しして再び口を開き、言葉を一つひとつ確かめるようにして話し始めた。

 

 

 

Bは私と同じ、すなわちAさんとも同じ幼稚園に通っており、9年の付き合いだった。私とはサッカー仲間でもあり、その明るい性格でいつもクラスのムードメーカーを担っていた。クラスの中心的存在で……

こんなような筋書きは、案外いじめの主犯格なんかによくあると思う。

サッカー部、クラスの中心、ムードメーカー。危ない。

でもBはいじめをするような奴ではなかった。素直でやや鈍感なところもあったかもしれないが、人にいじわるをしてやろうというような奴では決してなかったと思う。

 

Bが初めてAさんと会話したのは、幼稚園に入学した次の日あたりだったらしい。私も話を聞くまで知らなかったのだが、驚くことにそのときAさんは普通に喋っていたとのことだった。詳しくは覚えていないけど、と前置きしていたが、BによるとAさんの声には少し特徴があったらしい。

そこで、純粋な3歳の少年は

 

「Aの声、なんか変じゃね?笑」

 

と、何人かの前でひとこと口に出してしまったらしい。一語一句この言葉だったかと言えば微妙だが、要はそのような趣旨のことを言ったと。もう少し強い言葉だったのかもしれない。

 

次の日からAさんは何もしゃべらなくなってしまったらしい。

 

 

 

子供は無神経で残酷だとよく言われるが、言葉の受け手になったとき、狭い世界にめいっぱい敏感な神経を張りめぐらしている。

 

Bはこのことを今まで誰にも話してこなかったらしい。

Aさんには一度だけ謝ったと言っていた。これに対してAさんが頷いたりしたのか、どういう反応をしたのかをBは特に語らなかった。

 

しかし、どういう反応をしたにせよ、Bがもっていたかもしれない自責の念に対する本当の意味での答えは彼自身が探していかなければならなかった。半分抜け殻になったような表情でこの話をしていたから、「自分に非はない」といって逃げるという選択もできた中でBは確かに自責の念を感じていたような気がする。

 

BがいまでもAさんのことについて想うことがあるかはわからないし、私もふとした瞬間に思い出すことがある程度で、このブログを書き終えたらまたしばらくは記憶のほんの片隅にしまわれてしまうだろう。

 

彼女を深く覆っていた霧が今頃少しでも晴れていたら嬉しく、それを願いたい。

 

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