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”グローバル化する日本代表”……ってなんやねん

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オリンピックも佳境に入ってきましたねとか言おうとしたらもう終わってた




 こんにちは!謙虚な天狗の皐月です。f:id:chaplin0549:20210922201928p:plain

 

 コロナ禍ということもあり、数えきれない問題を抱える中開催されたオリンピックになりました。 小山田圭吾さんや小林賢太郎さんが話題に上がったりしましたね。

 実は私、andymori(アンディモリ)というバンドが大好きで、二年前くらいにボーカルの小山田壮平さんについて調べてたことがありました。 そんときにたまたまYouTubeで「過去に壮絶ないじめをしていた芸能人」みたいな動画が出てきて小山田圭吾さんの存在といじめのインタビューについて初めて知りました。 きっと「小山田」が引っ掛かったのかな。 当時彼がどのくらい知名度があって人気があったのかも分からないうえに彼の音楽作品も聴いたことがなかったので、私が受けた第一印象は”いじめに関わった人”でした。 この点で言えば今回の問題が明るみに出たときに自分が受けたイメージは世間と少しズレていたかもしれません。 

 

 ラーメンズを初めて知ったのは私が中学生のときでした。 学期末の理科の授業でもうカリキュラム終わったから残りの授業どうしようかってとき、太ってて狸みたいな先生が「じゃあこれ見せてあげる」ってことでラーメンズのコント集の中で先生お気に入りのやつを何個か見せつけてきたのです。 その先生太ってたしそんなに好きじゃなかったんですが、悔しいけど趣味はいいなと思った記憶がありますね(笑) あんなにスタイリッシュなコントは見たことがなかったので驚きました。 初めてお笑いから芸術を感じたというか。 今回話題になったネタ自体は私も見たことがなく、気になったので問題に部分周辺だけ切り取った記事を見てみました。 文脈全体として捉えれば確かに「やっちゃだめなこと」の例としてホロコーストが挙げられていますよね。 ここであえてホロコーストを選ばなくてよかったという意見も散見されましたが、もしネタが発表された当時はこの発言が問題視されていなかったのならその意見は結果論だと思います。 周りが批判するしないに関わらずホロコーストについては自分の頭で考えるべきだし、ユダヤ人被害者のことを想ったら到底ホロコーストで笑いを取ろうとは思わないだろう、と言われてしまったらぐうの音も出ないですが。 しかし、ここで私が崇拝する作家である伊坂幸太郎さんの言葉を紹介したい。 

 

「びっくりするくらい空が青いと、この地続きのどこかで、戦争が起きてるとか、人が死んでるとか、いじめられてる人がいるとか、そういうことが信じられない。(『ゴールデンスランバー』より)」

 

 もちろん世界中の凄惨な出来事を学んだりするときには心が痛むし、今後こういうことが起きないようにしたいとは思います。 ただ、正直日本人から見たらホロコーストより原爆のほうが重く、ユダヤ人やドイツ人からしたらそれは逆になると思います。 これはしょうがないことかもしれませんね。 だからといってホロコーストを軽んじてよい理由にはならないけれども。 まぁいづれにせよこの発言だけで小林賢太郎さんが差別主義者だと断定する人が少しでも減ってほしいですよね。

 

 

 

 はい、こいつ記事のタイトルと内容間違えてね?と思ったそこのあなた。 安心してください、合ってますよ!  では本題に入ろうと思います。

 

 ”グローバル化する日本代表”という言葉。 何か違和感がありますよね。 そう!”グローバル化する日本代表” ってなんやねん、と。 あったかいビール、国語が好きだけど古典と現代文が嫌い、可愛くないエキゾチックショートヘア、みたいな。  矛盾してますよね。 でも勘の鋭いあなたなら ”グローバル化する日本代表” という言葉を聞いてすぐに何のことを言ってるか分かるかもしれません。 そうです!これは外国の血が入った選手たちが日本代表に選ばれるケースが増えてきているということを表している言葉なんですね。 例えば、大阪なおみさんとか八村塁さんのことですね。 スポーツ界には他にも有名な選手がいますよね。 サニブラウン・アブデル・ハキームさん、ケンブリッジ飛鳥さん、ディーン元気さん。 ディーン元気さん知ってるあなたはポイント高い。

 

 しかし、記事のタイトルにある『”グローバル化する日本代表”……ってなんやねん』にはもっと深い意味を込めました。 今回はいくつかのテーマに沿って”グローバル化する日本代表”について考えてみました。

 

前提として 

これから考えていくことは現在日本代表に選ばれているハーフの選手などに直接当てはまる話ではないです。 いま、日本代表として選ばれているという事実自体にあれこれ言うものではありません。 

 

 

日本人の両親を持たない日本代表が増えている

 最近オリンピックを見ていて気になったことがありました。 それは、ハーフだったり見た目が外国人の選手が数多く日本代表として戦っているということです。 ただ、これから彼らのことについて書き進めていくうえで厄介なことがあるのに気づきました。 彼らのことをどのように呼ぶかということです。 というのも、彼らはいくつかのパターンに分けられるので一括りにできないからです。

 

 ①日本で育ったハーフ

 ②外国で育ったハーフ

 ③外国で育ったが血は日本人

 ④外国で育ち血も外国人

 

 もちろんこれ以外のパターンもたくさんあると思いますが、代表的なものだとこんな感じかなと思います。 そして今回はこれらの人たちをまとめて呼ぶために、彼らに ”エキゾチック・ジャパン選手” と名付けさせていただこうと思います。

 

 ラグビーやバスケットボールではよくエキゾチックジャパン選手をよく見かける印象です。 以前にラグビーワールドカップで日本が南アフリカに勝った時も彼らが大いに活躍していた気がします。 キャプテンのリーチマイケルさんや具智元さんもその一人ですよね。 確かお二人とも中学生くらいに来日したはず。 違ったらすみません。 そこから日本語をマスターするのって結構難しいと思うんですがお二人ともとても上手です。 というか上手とか言うこと自体失礼レベルですよね(笑) 私は何年か前にも日本代表にエキゾチックジャパン選手が多さが気になったことがあったんですが、その問題に対して当時は私なりに一つの答えを出したつもりでした。 それが、「流暢な日本語を話せる人は日本代表として何の邪念もなく素直に応援できるのではないか」ということでした。 日本という国への想いがある程度簡単に、正確に可視化できると思ったからです。 つまりは外国人の皮をかぶった日本人だといえるというか。 しかし最近になって考え直すと事態はそんなにシンプルにはいかないと思わされます。

 

 心が日本人でも身体能力は……

 私が中学生のとき、サッカーの練習試合の相手に黒人系の選手がいました。 彼はトップで私はバックだったので、いかに彼を抑えられるかという戦いです。 しかし、初めて接触プレーで身体を当てたときに衝撃を受けました。 びくともしなかったどころかまるでディフェンスがいないかのようにのびのびとプレーしていたのです。 背はほとんど変わらないのに一歩の長さが違いすぎるし、腰周りにもはや筋肉しかないんじゃねと思うほどがっちりしているのです。 もちろん日本人でも体が強い選手はいましたが、彼らの大半にはしなやかさがありませんでした。 遺伝子による身体能力的な有利不利はやっぱりかなりあるんじゃないかと思います。

 

 ではなぜなでしこジャパンは屈強なヨーロッパの選手たちを打ち負かしててW杯で優勝できたのか? 個人的には、サッカーなど戦術が複雑なスポーツになればなるほど勝つためには技術が求められてくるようになると思っています。 また、個人スポーツより団体スポーツのほうがチームワークで身体能力の差を埋めることもできますよね。 100m走などの陸上競技のように極限までシンプルな競技だとなかなか技術だけで補えない壁があるように思います。 この前男子10000m走を見たんですが、アフリカの選手たちのラストスパートには唖然としました(笑) まだそんな力残ってたの?っていう。

 だからアフリカ人はズルい、フェアじゃない。 と言いたいわけではありません。 その遺伝子を持つ選手たちが日本代表として戦うことにほんの少し違和感を感じてしまいます。

 

 

できるならエンターテインメントを求めたいけど……

  ”グローバル化する日本代表”の問題でとても難しい点が、エキゾチックジャパン選手の「世界一になりたい」という志を曲げることは誰一人としてできないというところです。 しかし、もちろん彼らの裏で志を絶たれた選手もいるのではないかと私は思います。 日本は、アメリカや世界のほとんどの国と違って人口のほぼすべてが単一民族なので、このような問題が起きることはおそらく特殊なことです。 

 

 なんかこんなことばっか考えてるとなんでオリンピックが国ごとにチーム分けされているのかもよくわからなくなってきます。 単純に世界一を決めるだけならいらないかもしれません。 団体スポーツも自分たちで人を集めてチームを作れます。

 

  でもよくテレビとかで「国の誇りと威信を懸けて戦う」とか聞きますよね。日本人の誇りと威信について紐解いた時、単一民族としての歴史は必ずついてまわるのではないでしょうか。 それが日本という国のアイデンティティを保護していると思います。

 

  サッカーでは地域ごとにプレースタイルに特色があります。 それは見る側からするとおもしろいものです。 南米の国々は勝利に貪欲で、ずる賢いプレーや足技のテクニックが持ち味。 ドイツは勤勉な国民性からか正確なパスによるつなぎ、組織的に整備された守備。 アフリカの国々の選手は自由な発想による突飛なプレー、それを可能にする身体能力。 それらは深い歴史を持つアイデンティティによって創られてきたものでしょう。 日本代表が背の高いエキゾチックジャパン選手でいっぱいになって、セットプレーからのヘディングシュートを主な得点源とするチームになるのは、よくないことだとは言いませんが、私は寂しく感じてしまいます。  

 

  スポーツのグローバル化が今後加速していけば、競技ごとに人種の系統が偏ってくるのではないかと勝手に推測します。 科学的根拠も何もないですが、感覚的に言うと例えば瞬発力が必要なバドミントンではアジア系、長距離は足が長くて身軽なアフリカ系、など。 ドイツ対イギリスなのに、戦っている選手はそれぞれの国籍を持つアジア系だったりしたらちょっとストップと言いたくなってしまいます。 もちろんその選手たちは生まれも育ちもその国で、その国の言葉しか話せなくて、その国の威信と誇りを懸けて一生懸命に戦っているかもしれません。 はたして単なる観客がその試合を見てつまらないとかおかしいとか言って良いものか、エンターテインメントを求めても良いのか…………。

 

 

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